day by day postscript
日々のあとがき


2003.3.15
妻の弟の結婚式に出席した。
初めて会った時の義弟はまだ中学生だった。
本人にとってはとても迷惑な話だと思うけど、未だに、
ブカブカの制服を着て自転車をかっ飛ばし、
坂を降りてくる彼の姿が目に浮かぶのである。
結婚おめでとう!

2003.2.24
イイダアキラバンドを聴きに、高円寺ペンギンハウスへ行った。
日頃、様々なバンドで、ピアノやベースを弾く飯田氏。
それぞれのバンドから様々な曲を取り上げ、ピアノを弾きながら歌うという、
飯田氏ならではの粋なライブだった。
ドラム、ベースを交え歌われた曲は実に味わい深かった。
僕の歌も何曲か歌ってくれた。サンキュー。
特に心に残ったのは冒頭に歌われたキクチシゲル氏の『東京の朝』だ。
ライブが終わった後もずっと頭の中で繰り返し浮かんでくるのはその歌だ。

2003.1.15
昨年の暮れに、僕の住む団地の私道いっぱいに、夥しい数のらくがきがが出現した。
ポップアートの芸術性も、
ポール・サイモンの『予言者の言葉は地下鉄の壁に描かれている』といった趣もない。
しかし、なにしろその多量さに圧倒された。
そこから少し離れた所にも、ぽつりぽつりとなにかしら描かれているのだが、
ある曲り角の壁に描かれた一言がひときわ鮮やかで、僕のお気に入りです。

2003.1.1
あけましておめでとうございます。
大晦日は吉祥寺でビスタコのライブを見ました。
年が明けて、ビスタコとくらごんとその一行と共に武蔵野八幡宮へ初詣に行きました。
参拝の行列に並んでいる時、かすかに雪が降りましたが、案外、寒くなかったです。
皆様、今年もよろしくお願いします。

2002.12.26
須田祐一郎氏と車に乗って、
発売されたばかりのディランの1975年のライブ盤を聴いていた。
ディスクが4曲目の『ハッティ・キャロルの寂しい死』を流し始めた頃、
話題は、22日に自宅で亡くなったジョ−・ストラマ−(元クラッシュ)に及んでいた。
歌が始まると、しばらく僕らはジョー・ストラマーの歌声だと思って聴いていた。
そしてほぼ同時に
「アレ? これディランだよね? でも似てたよね?」と驚きに顔を見合わせた。
ボブ・ディランとジョ−・ストラマ−の声が似てるとは聞いた事がない。
不思議なタイミングだ。

2002.12.8
bistaco presents「Talking Loud vol.7」に出演しました。
場所は、吉祥寺 PLANET K 。
見に来てくれた皆さん ありがとう!
誘ってくれたビスタコ ありがとう!

今日はジョン・レノンの命日ということもあり、
リハーサルに向かう前に、
『マインド・ゲームス』のリマスター盤を購入して聴いてました。
世間的には、あまり語られる事のない作品ですが、
個人的には『ジョンの魂』に次ぐ愛聴盤です。
付属のブックレットに『マインド・ゲームス』発表当時(1973年12月29日付)の
キャッシュボックス シングルトップ100の一部が掲載されていた。
それによると、
10位 ジョン・レノン『マインド・ゲームス』
11位 ポール・マッカートニー『ヘレン・ウィ−ルズ』
12位 リンゴ・スター『ユア・シックスティーン』
と続いている。
10位以内には、
3位 ジム・クロウチ『タイム・イン・ア・ボトル』
4位 スティーブ・ミラー『ザ・ジョーカー』
5位 トッド・ラングレン『ハロー・イッツ・ミ−』
7位 エルトン・ジョン『グッバイ・イエロー・ブリック・ロード』
8位 スティーヴィ−・ワンダー『リビング・フォー・ザ・シティ』
とある。
とても馴染み深い曲ばかりだ。
この時期はちょうど僕がラジオで音楽を聴き始めた頃に当たる。
常々、1973年発売のレコードにハズレなし。と思っていたのだが、
もしかしたらそれは、僕の個人的な思い入れに由来しているだけかな。



ken emura