day by day postscript
日々のあとがき


2001.11.29
須田靖彦氏エンジニアリングのもと、
祖師谷大蔵にあるスタジオセイントで歌録りをした。
子供の頃に住んでいたのは、ほんの1年半なのに、とても愛着のある町だ。
マンションがたくさん建って、長崎屋がなくなって、
大きな道が通り、踏切が消えたりしてるけど、当時の雰囲気は今も残っている。
よく立ち読みさせてもらった大蔵書店という小さな本屋も健在だ。
確か中学入学当時、僕の身長は147cmぐらい、
体重は30Kgに満たなかったと記憶している。
そんなちっこい体で、分厚い教科書を何冊も入れたカバンを、
袖の長過ぎる制服の肩に掛けて通った砧中学校までの、
大蔵団地の間を抜ける長い坂道も、ほとんど当時のまま。
その道は今でも車でよく通るけど、ここを歩いて登り下りしていた当時が、
本当に昨日の事のように思える。
でも昨日の事なんかじゃない。と気付き、時間がグワンと揺れるような感覚を味わう。

2001.11.23
先日、下北沢でフランク・ザッパの『ワン・サイズ・フィッツ・オール』を購入した。
さっそく家に帰ってかけてみた。
レーベルがアイランド・レーベルなのを目にして
「へぇ〜。アイランドからザッパ出してんだ。」と思いながら。
音を聴きながら
「へぇ〜。シンセ使うんだ。」
「あれ? 聴いたことあるなぁ。」
「待てよ... 」
中身はスティーブ・ウィンウッドの『アーク・オブ・ア・ダイバー』だった。

そこで今日。
そのレコード屋で『アーク・オブ・ア・ダイバー』を置いてないか探してみた。
あった。
店員に事情を説明して中身を確認してもらうと、ザッパではなかった。
スティーブ・ウィンウッドですらなかった。
なぜか アンブロージャだって。なにそれ。店員も苦笑い。
入荷したレコードをまとめてクリーニングするらしい。
その段階で入れ違うとのこと。
次はアンブロージャのレコードを探して中身を調べたかったけど、
店員はあまり乗り気ではなく、
申し訳ありません。お金を払い戻ししますので...。とのこと。
お金はいいから中身を探したいのにな〜。

2001.11.19
新宿マローネで大久保荘は号室のライブを見た。
その後、下北沢でうまいおでんを食べた。
子供の頃は、ジャガイモと、だしに使われたとり肉と、
辛うじてちくわを何とか食べられるだけ。という嫌いな食べ物の筆頭だった。
給食の献立がおでんの日は学校へ行くのが憂鬱だった。
それがいつからおいしい食べ物に変わったんだろう。
思えば、いろいろなものが嫌いだった。
卵焼きも豆腐も嫌いだった。カレーもあんまり。
嫌いじゃなかったけど、ラーメンは麺1本。餃子は1個しか受け付けなかった。
それが今では好き嫌いはない。と言える。
だいたい何でもおいしい。

2001.11.14
今秋の初柿を食べた。
柿って和風だよな。

2001.11.13
倉谷和宏氏に薦められた『アトム今昔物語』を読んだ。
手塚ワールドを堪能。
購入した新百合丘のヴィレッジヴァンガードでは、イノトモの歌が流れていた。
『アトム今昔物語』を手にしばし鑑賞。
心を打つ歌だ。

2001.11.10
フライデー oh!oh!企画 『サタデーナイト・オールスターズ』を見に、
吉祥寺スター・パインズ・カフェへ行った。
ファーストCD『 NIGHT PACK 』発売決定おめでとうございます。

2001.11.8
先日買った再発の新譜CD『ノー・タ−ニング・アラウンド/エディー・モトゥ』
いいジャケット。靴底の見え方が好きだ。ジャケ買いかな。
ジャケ買いとはアルバムの内容の知識なしに、ジャケットが気に入って買う行為。
ジャケットが良ければ内容も良い。という説もあるとか無いとか。
ジャケットが購買意欲を左右するとかしないとか。
僕は左右されます。
そして『ノー・タ−ニング・アラウンド』は内容も好みだ。
ウッドストック産特有の滋味あふれる音だ。
一方、グッドなジャケがあれば、当然、バッドなジャケもある。
中にはバッド過ぎて、ちょっと魅力的になってたりする不思議なアルバムもある。
そんな1枚『サンバ '68/マルコス・ヴァーリ』。
このアルバムを話題にする時は『マルコスのあのイケてないジャケのヤツ』
と、形容してる。
繰り返し見たくなる やられた感 のあるジャケットだ。

2001.11.4
東京芸術劇場へ日本フィルの第121回サンデーコンサートを見に行った。
内容は『ヴァイオリンによるシネマ・クラシックスと二十世紀映画音楽巨匠の世界』
エンニオ・モリコーネ、ヘンリ−・マンシーニ、ニーノ・ロータ 等
サントラ好きにはお馴染みの巨匠たち。

2001.10.27
渋谷のハイファイ・レコードへ行った。
ネット上でリストを眺めては、欲しいレコードの安否を常々気にしていたお店だ。
今日のところは3枚、目当てのレコードを購入。
レジで店の旦那に声をかけてもらった。
『こういうレコードを買ってくれるお客さんが少なくなった。』とお嘆きだった。
それは残念な事だ。
特にジョン・セバスチャンの『Tarzana Kid』は本当に素晴らしい。
一家に一枚。夕飯の後にコーヒーを煎れながらどうぞ。

2001.10.24
アラン・トゥーサンの名盤『サザン・ナイツ』を聴いていた。
A面が終わってB面へと続く曲の流れがたまらなく良い。

それから、秋晴れの空の下を磯野家へ向かった。
おうちでのりょう君は終始上機嫌。
いつも外で見る凛とした姿はよそ行きだったのか。
どっちも可愛い。

2001.10.23
『追憶』(1973年)という映画がテレビで放映されていた。
バーバラ・ストライサンドが歌った主題歌のシングル盤を当時聴いていたな。
と思い出し、捜してみたらありました。
針の出すノイズもいい感じ。
そのまま懐かしのシングル盤大会となった。
初めて自分で買ったレコード(ハジレコ)
『シーズンズ・イン・ザ・サン/テリー・ジャックス』。
何故か、『そよ風の誘惑/オリビア・ニュートン・ジョン』。
『ルーシー・イン・ザ・スカイ・ウィズ・ダイヤモンズ/エルトン・ジョン』のB面では
ジョン・レノンの『ワン・デイ・アット・ア・タイム』を歌っていたのは発見だった。

2001.10.19
西荻窪 BinSpark に来て下さった方々
どうもありがとうございました。
『江村健 + α』 として参加してくれた
須田祐一郎氏 平泉コ−ジ氏
飯田彰氏 大久保荘は号室のお二人
一緒に演ってもらえてとてもうれしかった。
『旭荘201 -2』『ジャンゴ(小)(中)』『吉岡宏之 ±0』
そして、誘ってくれたくらごん、あっちゃん
楽しかった。どうもありがとう。

2001.10.17
廉価DVDソフトコーナーの中に『熱いトタン屋根の猫』を見つけたので購入した。
テネシー・ウィリアムズの戯曲を映画化した1958年の作品。
以前、テレビで見て気に入っていたけど、やっぱりいいな。と思った。

2001.10.16
妻がTシャツを買って来てくれた。
まさに僕好み。僕の趣味をよくわかっている。
つきあい始めて間も無い頃も、妻(当時は彼女)はTシャツを買って来てくれた。
穴だらけの服をいつまでも着て、新しい服を買う気の無い僕の為に。
しかし、その時のは1度も着ていない。だって、気に入らなかったから。
もらって1度も着ないままの服が、まだ他にも数着ある。
僕は儀礼的な気持ちで嫌々着たりはしない。すみません。
妻もしまい込んだプレゼントについて、僕に無理強いしたりはしない。ありがとう。
僕の趣味を研究しているようだった。
近頃は、僕好みのプレゼントばかりだ。

そう言えば、1度も着る事なくしまい込まれていたチェックのシャツを、
父がほど良く着こなしていることに、ある時ふと気付いた。
差し上げますよ。お父さん。

2001.10.14
毎日いい天気が続いている。読書の秋だ。
三島由紀夫の『愛の渇き』を読み終えて、今は『美しい星』を読んでいる。

2001.10.12
ドクター・ペッパーを飲んだ。どこかルート・ビア−を思い出す味だ。
ルート・ビア−を辞書で調べたら『サルサ根やササフラス根などから作る清涼飲料水』と書いてあった。
飲むといつも、初めて飲んだ時のことを思い出す。

僕が子供の頃、近くにあった児童公園は高台にあって、その向こうは一面の崖だった。
夏はうっそうと樹が生い茂り、とても立ち入れない危険地帯となるが、
葉の落ちた季節には、樹の上に小屋を作ったり、岩場の穴にもぐったりして遊んだ。
ある日、友達と、その森の先には何があるのか冒険に出かけた。
暫く歩くと、深い森を抜けた先にはとても大きな家があった。
その庭先に僕ら二人が森から飛び出た、ちょうどその時、その家の主人に見つかった。
ひとしきりの説教。
元気なく帰ろうとする僕らに、その家の主人は
『これでも飲みな』とルート・ビア−をくれた。
初めて飲むルート・ビア−はなんとなく薬の味がした。
僕らは、飲みながらの帰り道、
この飲み物はいたずらをしない、おとなしい子供に去勢する薬なのでは!? と空想した。

2001.10.5
母の誕生日のお祝いに、両親と兄夫婦と妻とで赤坂にて食事をした。
松江の郷土料理。
最後に出て来た鯛めしは殿様が好んで食べたらしい。
皿に3つの蟻塚のように盛り付けられた鯛と卵の黄身と白身、薬味をご飯にかけて、
その上から鯛のだし汁をかけて頂くお茶漬けのようなもの。
ごちそうさま。
食事を終えて、両親兄夫婦とは別れ、高円寺ペンギンハウスへ。
ハニ−カート、ジャンゴを見に行った。
帰りは下北沢までカツヲ氏の磯野号に乗せてもらった。
ありがとう。

2001.9.30
吉祥寺で新聞記者と知り合った。
旭荘201を見に来ていた、くらごんの幼なじみ。実に10年ぶりの再会との事。
二人が語る当時のエピソードの数々。
おもしろい。そして味わい深い。
くらごんとの再会について『まだ歌っていたのかと半ば呆れ、半ばうれしかった』との心あるコメントが印象的だった。
明け方、中華料理屋にてみんなで杏仁豆腐を食べた。
彼は『おいしい!』と、すかさずおかわりを注文していた。

2001.9.24
新宿へ買い物に行き、献血ルームへ寄った。
しかし、今回は寝不足という理由で注射から逃れた。
僕には過去に2回の献血経験がある。
初めて献血をした30歳の時に『O型ですね。』と言われた。
驚いた。
そんな筈はない。
僕はB型のはず。
高校1年生の生物の時間、血液型を調べる実験をした。
その時、血液型が判っていなかったこともあって、僕が実験台となった。
実験結果はB型だった。
以来約15年間、B型として過ごしていた。
血液型占いは、当然いつもB型で占っていた。
『なるほど。当たってるかな。』なんて思いながら。
妻はB型の男が好きで、B型だと言うから結婚した。と不満そうに言い出す始末。
結婚サギにあった気分らしい。
すみませんでした。
初めはずいぶん驚いたけど、だんだん楽しくなってきた。
B型の僕はもぅいないけど。
いや、もともといなかったんだけど。

2001.9.20
我が家の風呂が新しくなった。
以前はほとんどシャワーを浴びるのみ。
身体を清潔にすることだけが目的の『用事』にすぎなかった。
しかし昨日からは、湯舟に浸かるひとときを味わっている。
時間泥棒に盗まれていた時間を取り戻した感じだ。
(ミヒャエル・エンデ著『モモ』参照)

とは言え、長い時間は湯に浸かっていられない。
皮膚呼吸ができない気がして、苦しくなってくるから。
それはプールに入っている時も同じ。
でも、そんなことでは遠泳は出来ないし、
僕だけが人よりも多く皮膚呼吸を必要とする人間ということもないだろうし、
きっと、ただの思い込みだと思う。

風呂が壊れてからの1週間は、毎日、自転車で5分の実家へ風呂を借りに通った。
妻を後ろに乗せて、のんびり二人乗りで。
このまどろっこしさは、意外にも楽しかった。

2001.9.14
日本フィルハーモニー交響楽団の第533回定期演奏会を聴きに、
アークヒルズのサントリーホールへ行った。
指揮はスペイン人 ヘスス・ロぺス=コボス氏、ゲストは村治香織氏。
クラシックギターは、柔らかい良い音色だな。

2001.9.12
ジャンゴのレコ発ライブに行った。
ジャンゴファミリーの皆様、CD発売おめでとうございます。

2001.9.11
旧知の友 松阿彌氏のライブを見に、原宿クロコダイルへ行った。
彼は、僕の歌『100万円ブルース』を歌っている。
独自の松阿彌流拡大バージョンで、100万円が50億円に飛躍して、
『50億円あったら、ブルースな渋いレコード 300万枚買えるのに〜』と歌っていた。
うん 買いたい。

2001.9.4
スライド・ギターの依頼があり、
Flyday oh! oh! レコーディング中の Soul Ground Studio へ行った。
ギター片手の祐一郎氏。
指先の音とは無関係に、欲しいフレーズを口で指示する姿がイカシテル。
僕のスライド・ギターは不要となったが、
その後で録った靖彦氏のスライド・ギターはまさにフライデー・サウンドそのもの。
さすがだな。

2001.9.1
表参道にあるゴージャス度随一のライブハウスFABで、旭荘201を見た。
ライブ後、原宿へと散歩。
うまさ東京随一と絶賛する人もいると云うラーメンを食べた。
FABに戻り、打上げに参加。
その後、新代田へ移動。
怪しさ度随一『中級ユーラシア料理』と銘打つ異国情緒あふれるレストランでお茶会。
ミルクプリンを食べた。見た目も味も意外と素朴だった。
むしろスプーンに存在感あり。



ken emura